春奈’s STORY② 人間関係に悩んだ高校生活~子どもの可能性に気付いたとき

カウンセラーの若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第2話です

幼少期から中学生編はこちら

高校生になると中学生の頃のように委員会や部活動は一切入らず、

秋田のアマチュア劇団の方々と一緒にお芝居をやるようになります。

1年生の頃は演劇講座を受講。

高校生から大人まで参加できる講座で、発声や活舌などの基礎やトレーニング方法を学び、

一つの作品を仕上げて発表をしました。

この時に準主役ともいえるような出番の多い役に抜擢されて嬉しいやら焦るやら。

学校の授業中も台本を読み齧り、必死にセリフを覚えました。

大人の方々と芝居をやってみて、自分の演技なんか本当にまだまだ未熟で通用しないんだと実感するんですよね。

でも演出家の先生に「中学校演劇でも悪い指導は受けてなかったんだと思うよ」とおっしゃっていただき、

なんとなく救われた思いでした。

ただ、中学校で演劇部に入っていたと言えども、きちんとした指導者がいるわけでもなく、

練習方法もこれであっているのかみんなわからないまま手探りで行っている状態だったので、

自信は全くなかったんです。遅れを取り戻そう!!と必死でした。

2年生からはミュージカルに参加しました。

こちらは小学生から大人まで参加できるもので、初めて歌とダンスに挑戦したんです。

演技だけでも大変なのに歌って踊る・・・しかも私、低血圧じゃなかったっけ?

と思いながらも練習していくうちに、徐々に慣れてきてなんとか披露できるまでに成長しました。

ここで小学生と一緒に芝居を作り上げていく中で、

演劇の未来をつなげていくためには子どもたちの力が必要不可だと気づきます。

子どもが演劇に興味を持たなかったらもう演劇は終わりなんだと。

そこで高校を卒業したら子どもたちに向けた芝居がやりたい!と思うようになります。

まだこの時は子どもについて学ぼうとまでは思っていませんでしたが、

単純に子どもたちの演技を見て素晴らしい!って思ったことは覚えています。

どうせ子どもには無理だろう。子どもには難しいだろう。

そういう思い込みがあることで、子どもの可能性を摘み取ってしますことがあるんだと思うんですよね。

全然無理じゃない。むしろ大人よりいい芝居をする。

だって子どもの方が感情表現が素直で上手ですからね

初めて人間関係に悩んだ高校生活

将来の進路が私の中で完璧にイメージできて、もはや突き進むのみとなったわけですが

高校生ならではの悩みももちろん抱えていました。私は実業高校でクラス替えがなく、しかもほぼ女子クラス。

女同士の見えない壁というか亀裂というか派閥というか。何か上手くいかない感じを経験します。

「女同士は面倒くさい」そんな気持ちでしたね。

今は人間関係を円滑にする方法を勉強してきたので平気ですが、やはり女の人間関係は難しいものがあるんだと思います。

女性というのは感情の生き物ですからね。気持ちや気分次第で態度が変わってしまうこともしばしば。

それが大人げないことだとわかっていても、どうしても切り離せない部分がありますね。

まさに女子から女に変わる境目の時期ならではだったのかもしれません。

でも、このときの気持ちも大人になったら一切なくなってるもんなんですよね。

さすがに高校生の頃の気持ちをアラサーになるまで引きずることもなく、一時のものだったんだなって感じます。

今人間関係が上手くいかなくて悩んでいる方も、きっと一時のものなんだと思いますよ。

春奈’s STORY① 幼少期から中学生時代~野球、そしてジャニーズ

カウンセラーの若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第1話です

子どもの頃の私は母親が専業主婦で毎日家に母がいたということもあり、

かなり安心感の中で育ってきた半面母のことが煩わしく感じることも多くありました。

子どもながらに大人になったら絶対家を出て一人暮らしするんだ!!

と心に決めていたなんともたくましい少女でしたね。

でも実際は小さな虫でも触れないくらいのちょービビり!

ジブリ作品が大好きで風の谷のナウシカに憧れて、

すべての生き物に優しくしようと思っている自分で言うのもなんですけど本当にいい子でした(笑)

父が男の子が欲しかったということもあり、野球や虫取りを教えてもらって苦手な虫を克服。

ついでに野球のルールも覚えて女子の中では貴重な存在に。夏休みは甲子園を観るのが日課となっていました。

小学生の頃、女子アナが野球選手と結婚するパターンが多くあり、

漠然とアナウンサーになりたいと思うようになりました(笑)なんとも不純な動機です。ア

ナウンサーになるためにまずは形から入ろうと英会話を習い始めました。

でも全然話すことができないまま中学生になり、結局みんなと同じレベルでスタートする形に。

悩み続けていた中学生時代

中学生になってからは学級委員を務めたり、応援団をしたりとかなり活動的になりました。

部活動に必ず入らなければならなかったのでノリで演劇部に入部。

それから芝居の魅力にすっかりドはまりしてしまい、将来は役者になりたい!と恥知らずな宣言をしていました。

一見とても目立ちたがりに見えるのですが、なぜかこのときストレス性胃炎と

自律神経失調症と低血圧に毎日悩まされていました。

しょっちゅう通院しては検査。そのたびに異常なし。

自分でもどうしてこんなに体調が悪いのかわからず、やる気に反して言うことを聞かない身体にいら立つ日々でした。

実際のところは自律神経が乱れているから低血圧になり、それがもとで体調が優れなかったみたいですね。

このとき小児科の先生から「ストレスの原因を絶たないと治らない」

と言われて精神科のカウンセリングを受けることになります。

でもカウンセリングでも何かいまいちスッキリするかんじがなく、

「これはもう誰かに治してもらおうとするんじゃなくて自分の力でなんとかするしかないんじゃないか」

と思うようになったんです。

このときから一気に事態が好転!体調がメキメキ良くなって毎日ご飯が美味い!学校サイコー!!となります。

みんな頭を悩ませる受験も軽い気持ちで考え「甲子園に行きたいから野球の強いところで家から近いところ」

というノリで高校を決定(笑)案の定周囲から猛反発を食らうものの「私の人生だから♪」

と、特に気にすることもなく受験をします。

中学生はとても多感で難しい時期。その時期にストレスで体に不調をきたすなんて先が思いやられていたのですが、

逆にこのときに乗り越えた経験があったから、その後は楽しいことばかりに思えました。

私ってダメな人間なんだろうか。弱い人間なんだろうか。

そう思ったこともあったけれど、自分で「変わろう!」と決意してからは

何もかもが自分にとってプラスに思えるようになりました。

まさに自分サイコー!自分love♡になった時期です。

ジャニーズにハマった輝かしい少女時代

あと、余談ですが小学生から中学生の頃はジャニーズにもハマりました。

TOKIOがデビュー当時から大好きでCDもシングルで毎回買っていたし、深

夜番組だった「鉄腕!DASH!!」も毎週見ていましたね。

中学生の頃はジャニーズJr.黄金期と言われていた時期で、

今や人気の嵐や関ジャニ∞、タッキー&翼がJr.として活躍していた時期ですね。

私は二宮和也君が好きで、嵐のデビューが決まったときは本当に感激でした。

嵐のデビューシングル「A・RA・SHI」には握手会のチケットが入っていて、

原宿の代々木公園だったかな?始発の新幹線で行ったんですよ!

でも当日たくさんの人が朝から押し寄せて開場時間が早まり、

私が着いた時にはもうイベントが終わっていたんです(´;ω;`)せ

っかく秋田からはるばる行ったのに・・・!!

でもその時はもうポジティブ春奈に変わっていた時でしたから、

「これも何か意味があるんだろ。しょうがない!」って思えてました。

いや、残念だったけどね。

もその後リベンジで春高バレーの開会式を観に代々木体育館に行きました!

春高バレーのイメージキャラクターを嵐が務めていたので、開会式でライブがあったんですよ。

これが3月の出来事。

4月にはファーストコンサートがあり、横浜アリーナに行きました。

6月に販売された3rdシングルは、ビデオライブのチケットが封入されているものでした。

一番近くて仙台の会場でビデオライブがあったので行ってきましたね。

その会場でお台場ライブの抽選会があり、なんと当たってしまったんですよ!!!レアすぎる!!!

きっとデビューのときの握手会に入れなかったから神様が見ていてくれたんですね(笑)

諦めないでいたから報われたんだと思います!!!

この嵐の話が中3から高1にかけての話です。なんか嵐の話ばかりになってしまいましたね。

でもこの当時の嵐は今のように人気がなく、CDもランキング1位を取れないこともありました。

私たちファンの間では、発売日にCDを複数枚買って応援しようっていう人もたくさんいたんですよ。

今は日本で一番コンサートのチケットが取れないアーティストになってしまいましたね。

握手会やお台場のフリーライブが懐かしいですよ。

嵐だって最初から今のような嵐だったわけじゃないんです。

たくさんの苦労と努力の積み重ねによってできあがったもの。

私たちも小さな努力を積み重ねていかなきゃいけないなって思いますね。