春奈’s STORY⑦ 好きなことを仕事にする難しさ~成功と失敗・・・時々ハッピー

カウンセラー若狭ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第7話です。

10年越しの夢を叶えて念願のセブンイレブンで働きながら芸能の仕事にも関わり

とにかく充実の日々。

そんなある日、事件は起きました。

24時間営業のコンビニで割と中核のシフトをこなしていた私は

朝6時から日中を除く深夜勤務まで不規則な生活をしていました。

おかげさまで体が限界を迎えてしまいます。

この、体が限界を迎えるまで無理をする自分、なんとかしたいです(笑)

大好きなセブンを辞めるのは本当に心苦しく切なくつらいものでした。

それと同時に、芸能プロダクションのほうから店舗を出すことになったから

店長を任せたいとのオファーをいただくことに!!!

地元秋田で活動するタレントやアーティストのグッズやチケット販売をするお店。

秋田には初の芸能のアンテナショップです!!

ジャニーズショップみたいなイメージ???

次から次へとめまぐるしい私の人生はここからさらに拍車をかけて変化していきます!

雇われとはいえども店長という責任ある立場。

在庫の管理から売上金の管理までしっかり行わないといけません!!

でも、今までの経験のすべてを活かすことができます。

在庫や売り上げ管理は販売職の経験が役に立ちます。

ストアオペレーションももちろん今までの経験から培われたもの。

秋田県の芸能事情なんかも中学のときから演劇をしていたからこそのつながりもあります。

自分の得意なものをすべて発揮できる仕事と言えるんです。

お店では販売の他、イベント的にライブをしたこともありました。

ですが、これまた思うように経営が上手くいかず、手元の残金が1万円に・・・

このままでは身が持たないというギリギリのところまで粘って遂に出勤できなくなってしまいました。

またしてもギリギリまで無理をする(笑)

好きなことを続けていく難しさを何度も何度も味わいました。

でも、それでも好きなことをやめたくないという思い。

そして何より、一番の目的である”子どもたちの心の育成に関わるエンターテイメント”

これを確立させたい!!

芸能の仕事を退いてから様々なことを考え始めます。

いよいよ目的に向かって動き出す時なんじゃないかって。

表現と教育の関連性

ちょうど福島で”表現指導者養成講座”があることを知ります。

福島といえば東日本大震災の被災地です。

福島県いわき市で心の復興をテーマとした施設があり、

そこに玉川大学の太宰久夫先生を講師に迎えて表現教育について学ぶというもの。

これは受けないわけにはいかない!!!

表現教育っていうのは単なる演劇の練習ではなく

演劇のトレーニング方法を活用してコミュニケーション能力などを育てていく。

最近の学校教育では、コミュニケーション能力を高めるための学習

というものがわざわざ設けられているんです。

具体的には、ゲームやリクリエーションなのですが、そこに表現の要素を取り入れていきます。

それだけ、日々の生活の中でコミュニケーション能力を育てていくのが難しいという現実。

でも、私も子でもの情操教育に演劇が有効なことは間違いないって信じていたし

自分自身の表現についてももう一度見つめなおしたい。

そういう思いで参加しました。

参加してみて、やはり演劇のトレーニングが教育として大切だということを実感!!

でもそれと同時に

「今の教育者で表現教育ができる人はどれくらいいるのだろう?」

と思い始めるんです。

私が小学生から短大までの学校生活の中で

”表現”という分野において素晴らしい教育を受けた!!という経験がないんですよね。

保育士になってからの研修で「秋田の教育は素晴らしい」

なんていう話は聞いたことがありましたが、どこがどのように素晴らしいのかわからず。

秋田は子どもの学力ナンバーワンではありますが、表現に関してはまだまだ。

ここからカウンセラー若狭が一気に加速し始めます!!!!!!

春奈’s STORY③ 上京編~夢を叶えて劇団に入ったけど挫折、そして社会人へ

カウンセラーの若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第3話です

高校卒業後の進路として、東京の子ども向け専門の劇団に研究生として入団します。

小学校の演劇鑑賞会や地方の文化会館などで上演することが多い劇団で

今はもう活動していないようですが劇団新児童という当時日本で一番古い児童劇団でした。

初めての一人暮らしと役者としての生活。夢を着実に実現できていることに胸が躍りました。

私も地方公演に同行し、数回舞台に立たせてもらいました!!

ダンスの先生は元劇団四季の振付師の先生で、

短期間で本当にメキメキ上達した感覚!

初めはリズム感もなくかなりのヘタレでしたが、

教えてもらったことは確実に習得しようと練習してました。

先輩からも「覚えがいい!」と褒めてもらい、やればやるほどおもしろくなっていたんです。

両親からの仕送りと、セブンイレブンのアルバイトで稼いだお金で細々と生活していました。

とにかく明日どうなるかわからない生活なのでできるだけ切り詰めて。

毎日白米ともやし炒め。お昼は塩おにぎり。みたいな生活をしていたら当然ですが体がギブアップ!!

何分栄養が足りていませんから毎日フラフラ・・・顔が濡れて力が入らないアンパンマン状態。

根性のない私はすぐに諦めて劇団を辞めてしまいました。

この当時、バイト先の友達は大学生の子が多く、とても華やかで楽しそうに見えました。

地元の友達はちゃんと就職して自分の力で生活していて。

それに比べて私はなんて情けないんだ・・・と、とても悔しくなりました。

悪戦苦闘した就職活動と初社会人生活

劇団は辞めたけどなんとなく秋田に帰りたくない。

まだ諦めたくない気持ちと、みんなに合わせる顔がないという気持ち。

相互が入り混じってとにかく秋田には帰りませんでした。

一人見知らぬ土地で就職活動を始めたんです。

スーツはもちろん、ビジネスグッツなんて一つも持っていませんでした。

面接練習もしたことない。気持ちだけで突っ走ってました。

何社も不採用になりましたが、やっとのことで雇ってくれる会社に巡り合えました。

東京で完全手作りの婚約指輪の販売をする宝石店です。

とにかくお客様に対するサービス精神が旺盛で、親切丁寧。

ここで接客の基礎、サービス業の精神を学びました。

この会社で働いた経験がなかったら、私の応対マナーなんて本当にひどかったと思います(笑)

仕事ではミスの連続で毎日のように叱られていたのですが

そんな中でも楽しさを覚え始めていた時でした。

空気のいい田舎の秋田で育った私には東京の環境が合わなかったみたいで体調不良を起こしてしまったんです。

たいしたことはないから大丈夫だと思っていたのですが思いのほか両親が心配して

ほぼ強制的に(笑)秋田に帰ることになってしまいました。

秋田に帰ると決まってからは嬉しいような寂しいような。

身体に合わないとは言えども東京は楽しいところです。

帰る前に満喫しようと思い、仕事を辞めてからも少し遊んでいました(笑)

いつでも行けるからと後回しにしていた劇団四季のミュージカルを観に行ったり。

観れば観るほど魅かれるんですよね。やっぱり芝居はいいものなんです。好きなんです!!

秋田に帰ったらのんびりアマチュアとして演劇をやってみよう!と思うわけです。

人生を大きく変えてくれたアルバイト先、セブンイレブン

また、この時本当に貴重だなと思ったのがバイト先で出会った友達です。

セブンイレブンで出会った友達は本当にいい人ばかりで、田舎者の私を遊びに連れて行ってくれたり

秋田に帰るとなった時は見送りにも来てくれました。送別会ではみんな号泣してくれて(´;ω;`)

オーナーや店長も本当にいい方でたくさんお世話になりました。もはや第二のふるさと。

秋田にはこの当時セブンイレブンが進出していなかったので、

いつか秋田にセブンができたら絶対オープニングスタッフになる!!と心に決めていました。

この時から10年後・・・まさか本当にこの夢が叶うとは思っていなかったのですが(笑)