春奈’s STORY⑧ 育児ストレスカウンセラー若狭の誕生~パパ・ママの笑顔のために

カウンセラー若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第8話です

表現教育と心のケアについてすっかり魅了された私。

表現という自分の気持ちを表す行為に対して

心のケアというのは受け止めることが重要になります。

能動と受動両方のスキルが求められることは明らかでした。

ここで短大生時代に学んだ臨床心理学が思い出されます。

カウンセリングマインドを活かして表現力を引き出すことができれば・・・

思い立ったら即行動!

カウンセラーの勉強を始めました。

と言っても、おおよそのことは短大でも学習していましたし

保育士時代に保護者の方との面談や、研修などでも学んでいたので

内容的にはほぼ復習と確認という感じではありました。

子どもの表現力を決めているのは実は大人

さて、子どもたちの表現というのはどこから学んでいるかご存知ですか?

表現というのは初めは真似から始まります。

一番身近な家族が学習の対象なんです。

あとはテレビや幼稚園、保育園の先生、お友達。

様々なところから真似をして学んでいきます。

怒り方なんて特にそうです。

周りの大人の怒り方の真似をしているんですよ。

少しドキっとしたかもしれませんが、私も真似をされる立場だったので

子どもたちの表現にハッとさせられることもしばしばありました。

子どもたちの表現力を引き出すためには

子どもたちの周りにいる大人の表現力を引き出してあげること。

これがまずは大事になると考えたのです。

現代社会に生きる私たち大人は様々なストレスを抱えています。

思うように自分を表現できなかったり、

それによってコミュニケーションがうまくいかなかったりします。

自分を表現するための第一歩としてまずは自分の気持ちを吐き出すこと。

そしてそれを否定せずに受け止めてもらえる環境が必要なんです。

これはもうエンターテイメントの世界と

カウンセリングマインドの両方を学んできた私がやるしかない!!!

そう思って、パパ・ママカウンセラーとしての若狭春奈がスタートしました。

実は今までのすべてがここに繋がっています。

人生に無駄なことって一つもないんだなと実感しています。

あなたも今悩んでいることは一つとして無駄にはなりません。

自分の気持ちを表に出すことで徐々にぐちゃぐちゃだったものが

ちゃんと整理されていきます。

そうすると今後の方向性も見えやすくなっていくんです。

パパ・ママが笑顔でいるために

あなたは自分の気持ちを十分に表現できていますか?

うまく言い表せない気持ちがありませんか?

いきなり舞台役者のような表現力を身につけることはできません。

上手に表現することが目的ではないんです。

素直に表現すること。

表現することは誰にでもできます。あなたにも。

ただ、今は様々な負荷によって鈍ってしまっているだけです。

表現することが心のケアにつながります。

その基本がカウンセリングなんです。

また、大人の心の状態は子どもと接するときにも影響することがあります。

パパ・ママが元気でいるために。

パパ・ママが笑顔でいるために。

私のカウンセリングは存在します。

春奈’s STORY⑦ 好きなことを仕事にする難しさ~成功と失敗・・・時々ハッピー

カウンセラー若狭ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第7話です。

10年越しの夢を叶えて念願のセブンイレブンで働きながら芸能の仕事にも関わり

とにかく充実の日々。

そんなある日、事件は起きました。

24時間営業のコンビニで割と中核のシフトをこなしていた私は

朝6時から日中を除く深夜勤務まで不規則な生活をしていました。

おかげさまで体が限界を迎えてしまいます。

この、体が限界を迎えるまで無理をする自分、なんとかしたいです(笑)

大好きなセブンを辞めるのは本当に心苦しく切なくつらいものでした。

それと同時に、芸能プロダクションのほうから店舗を出すことになったから

店長を任せたいとのオファーをいただくことに!!!

地元秋田で活動するタレントやアーティストのグッズやチケット販売をするお店。

秋田には初の芸能のアンテナショップです!!

ジャニーズショップみたいなイメージ???

次から次へとめまぐるしい私の人生はここからさらに拍車をかけて変化していきます!

雇われとはいえども店長という責任ある立場。

在庫の管理から売上金の管理までしっかり行わないといけません!!

でも、今までの経験のすべてを活かすことができます。

在庫や売り上げ管理は販売職の経験が役に立ちます。

ストアオペレーションももちろん今までの経験から培われたもの。

秋田県の芸能事情なんかも中学のときから演劇をしていたからこそのつながりもあります。

自分の得意なものをすべて発揮できる仕事と言えるんです。

お店では販売の他、イベント的にライブをしたこともありました。

ですが、これまた思うように経営が上手くいかず、手元の残金が1万円に・・・

このままでは身が持たないというギリギリのところまで粘って遂に出勤できなくなってしまいました。

またしてもギリギリまで無理をする(笑)

好きなことを続けていく難しさを何度も何度も味わいました。

でも、それでも好きなことをやめたくないという思い。

そして何より、一番の目的である”子どもたちの心の育成に関わるエンターテイメント”

これを確立させたい!!

芸能の仕事を退いてから様々なことを考え始めます。

いよいよ目的に向かって動き出す時なんじゃないかって。

表現と教育の関連性

ちょうど福島で”表現指導者養成講座”があることを知ります。

福島といえば東日本大震災の被災地です。

福島県いわき市で心の復興をテーマとした施設があり、

そこに玉川大学の太宰久夫先生を講師に迎えて表現教育について学ぶというもの。

これは受けないわけにはいかない!!!

表現教育っていうのは単なる演劇の練習ではなく

演劇のトレーニング方法を活用してコミュニケーション能力などを育てていく。

最近の学校教育では、コミュニケーション能力を高めるための学習

というものがわざわざ設けられているんです。

具体的には、ゲームやリクリエーションなのですが、そこに表現の要素を取り入れていきます。

それだけ、日々の生活の中でコミュニケーション能力を育てていくのが難しいという現実。

でも、私も子でもの情操教育に演劇が有効なことは間違いないって信じていたし

自分自身の表現についてももう一度見つめなおしたい。

そういう思いで参加しました。

参加してみて、やはり演劇のトレーニングが教育として大切だということを実感!!

でもそれと同時に

「今の教育者で表現教育ができる人はどれくらいいるのだろう?」

と思い始めるんです。

私が小学生から短大までの学校生活の中で

”表現”という分野において素晴らしい教育を受けた!!という経験がないんですよね。

保育士になってからの研修で「秋田の教育は素晴らしい」

なんていう話は聞いたことがありましたが、どこがどのように素晴らしいのかわからず。

秋田は子どもの学力ナンバーワンではありますが、表現に関してはまだまだ。

ここからカウンセラー若狭が一気に加速し始めます!!!!!!

春奈’s STORY⑥ 再び芸能の世界に~10年越しの夢が叶うとき

カウンセラー若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第6話です

保育士を辞めて秋田の芸能プロダクションに加入します。

初めはモデル兼タレントみたいな位置づけで入りました。

いきなり演劇をやろう!!って思っても秋田にはまだ文化として

演劇は一般的じゃないんです。

私がアマチュアの方々とやっていた演劇やミュージカルも

観に来るのは身内ばかり。

身内同士で見せ合いっこしていてもしかたないですよね。

エンターテイメントは多くの人に興味をもってもらわないと意味ないんだから!

というわけで、とにかく芸能でできそうな仕事をいろいろやってみようと

タレントとしての活動を始めました。

その際に秋田の羽後町の農協でキャンペーンガールも務めさせていただきました。

羽後町のお米は、イラストレーターの西又葵先生が描いた萌えキャラデザインで

通称”萌え米”としてPRをはじめていたところだったんです。

米袋がとても人気で、県外からも注文が来るくらいなんですよ。

しかもお米もとてもおいしんです!!!

県内外のイベントに参加させてもらい、私もメイド服を着てPR活動しました(笑)

アラサーでメイド服・・・けっこうしんどかったです。

服装はともかく、演劇をやっていたおかげで人前で話すことには抵抗なく

農協の方々もとてもいい方ばかりで楽しく活動することができました!!

10年越しの夢が叶う!!

しかも!!芸能活動を始めるやいなやビックニュースが飛び込んできたんです!!

それは、秋田市にセブンイレブンが進出してくるという話。

しかも1号店が自宅の近くにできることがわかったんです!!

これはもう迷うことなく応募しました!!

だって、一度はセブンのバイトでお金が続かなくて劇団を辞めていたんです。

再び芸能活動を始めるというときにセブンイレブン進出の話。

運命だと思いました!!!

次こそは絶対に成功させてやる!!!と思いました。

当時の時給は日中で670円でした。でも、お金じゃない。

もうセブンで働けることがうれしくて、セブンにいられるだけで幸せな気分。

早朝から深夜まで様々な時間帯に入りました。

保育士の資格がありながらコンビニでバイトをしていることについて

「もったいない」なんて言われることもありましたが

私に言わせれば好きなことをしている自分は本当に幸せだし

むしろ好きなことをやらないほうがよっぽどもったいないと思います。

好きなことをしてお金を稼げるなんてこんな幸せなことはないです。

芸能の仕事の方は、スタッフとして支えるほうに移行していきました。

演劇をしていると、スタッフと役者を兼ねなければならない時があります。

私にとってはどちらも大切な仕事というふうに捉えていたので

これも抵抗なくこなすことができました。

春奈’s STORY⑤ 無我夢中の保育士時代~子どもには本気で向き合うこと!!

カウンセラー若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第5話です

保育士になってからは本当に毎日がめまぐるしく過ぎていきました。

早番は朝7時半から。次の日の出勤時間に合わせていかに早く寝るか(笑)

とにかく睡眠時間をたっぷり確保しないと疲れが取れないんです。

子どもたちと毎日走り回って本気で遊ぶ。

大人が本気を見せないと子どもも満足しないので、毎日100%出し切る感じです。

今思えば若いからこそできたような気がします。

前述のとおりピアノは一切弾きませんでしたが、

ミュージカルや演劇の経験があったため、リズム遊びやおはなしは難なくこなしました。

毎日の保育の他に事務作業として指導案や行事記録、お便り作成などもします。

保育室の環境整備として壁面装飾や清掃、生き物の飼育・・・

やることは多岐にわたっていました。

年に1回保護者面談も行っていました。

その傍ら、プライベートも充実していて、友人との飲み会は月1ペース。

レゲエダンスのレッスンに通って、週末はクラブへ遊びにいくなど普通の若者になってました(笑)

保育士は重労働の割にお給料が少ないなんて言いますが、

しっかり体を鍛えて体調管理を万全にしていればそんなにきつい仕事ではありません。

私は睡眠時間をしっかり摂るように意識していたので、

食生活はやや乱れていましたものの、感染症の類にはかかりませんでした。

保育園や幼稚園で働いていると、子どもの感染症が流行し、先生たちもダウンしてしまうことがあります。

私の勤めていた園もインフルエンザなどが流行して園閉鎖をしなければならないこともありましたが

私は一度もうつりませんでした。

なんなら未だにインフルエンザやノロウイルスに感染したことがありません。

「体調管理も仕事のうち」これは役者の間でよく聞く言葉でした。

体調不良で穴を空けてしまうと、周りに迷惑がかかるだけではなく自分の居場所も失う可能性があります。

自分が休めば誰かが代役をします。

その代役が自分よりいい仕事をするかもしれないんです。

そうしたら一気に自分の居場所を失ってしまいます。

体調が回復しても戻る場所がある保証はどこにもないわけです。

仕事というのはいつだって替えがきくものです。

保育士だって一人欠けると困りますが、いずれ誰かが代わりをこなします。

どんなに子どもに慕われている先生でも代わりがくればその人が代役をするまでです。

いつでも必要とされるためにはまず第一に”穴を空けない”こと!

そして職場の隙間を埋める存在になることです。

足りない部分を補うことで、欠かせない存在になることができます。

私は独身の一人暮らしだったのでいつでも融通を利かせて、当番などは積極的に入っていました。

他の先生が当番に入れなくなったときは積極的に代わっていました。

そうやって保育園の隙間をうまい具合に埋めていたんです。

順調に働いていた矢先にある重大な出来事が起こります。

みなさんの記憶にも新しい東日本大震災です。

当時、私はクラス担任を受け持っていて、お昼寝後のおやつの支度をしていました。

急な地震と停電で、電話もつながらなくなりました。

保護者との連絡もつかないまま、迎えが来るのを信じて待ち続けました。

幸い秋田県は被害が少なく、電気も何日かで復旧しました。

その後、保育士として災害派遣の登録をしましたが、要請が来ることはありませんでした。

エンターテイメントの重要性に再び気付く

翌年、東京にミュージカルを観に行きました。

岸谷五朗さんが作・演出をしている”地球ゴージャス”のプロデュース公演です。

その公演は被災地支援を兼ねていて、

「子どもたちの悲しみを奪うのは日常を忘れさせるエンターテイメントだ!」

という発想の元、様々なショーが繰り広げられるお話でした。

きらびやかで笑えて泣けて本当におもしろかった!!!

それからエンターテイメントの世界にもう一度戻ろうと思うようになります。

子どもたちのために、エンターテイメントで子育て支援ができるはず!

私がずっと願っていた、目標にしていたことです。

保育士として5年半勤め、たくさんのことを学びました。

子どもも発達のことも、周りの大人の関わりのことも。

今ならこの学びを活かして芸能の仕事ができるはずだ!!!そう思ったんです。

転職として選んだ保育士の仕事をここで退職します。

それは寂しくもあったし、若干の後悔もあったけれど

新たなステップアップとして必要な決断をするべきときがきたんだと思いましたね。

保育士の本当のところ

よく辞めた理由を「やっぱり大変だからですか?」と聞かれるんですが

大変だから辞めるというのであれば1年目で辞めているでしょう。

そんな簡単なものじゃありません。好きな仕事を辞めるのはいつだってつらいんです。

また、保育士をしている頃よく聞かれたのが

「モンスターペアレントっているんですか?」という言葉です(笑)

当時ワイドショーなどを賑わせていたワードでしたからね。

はっきり言いますがモンスターなんていませんでしたよ。

保育士が子どもに対していつでも真剣で本気で向き合っていれば

保護者の方々にだってちゃんと伝わります。

感謝をされることはあっても文句をつけられることなんてありませんでした。

モンスターなんていません。

いや、心の中にはモンスターを抱えていたかもしれないけれどね。

春奈’s STORY④ 2年遅れの短大生活~臨床心理学との出会い

カウンセラー若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第4話です

秋田に帰ってきてからは親の知り合いの紹介もあって生命保険会社に勤めました。

同時に秋田でミュージカルを再開したのですが、子ども向けの芝居をするなら

もっと子どものことを学ばなきゃいけないんじゃないかと思うようになったんです。

そこで、子どもと関わる仕事を探すのですが、資格も学歴もない私にできる仕事なんか当然ない。

社会福祉センターに相談に行ったところ、

「子ども関係の仕事をするなら短大に入って保育士の資格を取るのが一番早いです」

と言われるんです。

そりゃそうか・・・。そうだよね。

と、納得はするのですが簡単にできることじゃありません!!

まず短大に入るためには受験をしなければいけません。そして合格しなければいけません。

さらに合格したら学費を払わなければなりません。誰が払うんですか!?(笑)

でもふと思い出すんです。

高校生の時、学校の先生が役者の道を目指していた私に言ってくれた言葉を。

「お金は後からついてくる。なんとかなるもんだ」

言われた当時は「世間知らずのセンコーが何言ってんだ」と思ってましたが(笑)

確かに学費なんて奨学金を利用すればなんとかなるし、バイトをすればお小遣いも稼げる。

しかも早めに行動しないと現役からどんどん遠ざかってしまう!!

そんなわけで両親に「奨学金で何とかするから2年だけ学校に行かせてくれ」

とお願いし、仕事をしながら受験勉強を始めたんです。

私立の学校ではありますが、受験科目には筆記の他に歌やリズム打ちもあります。

ミュージカルをやっていたものの歌は苦手。

しかも楽譜が読めないという致命傷!!!

元吹奏楽部の妹に教わりながら練習をしました。

結果、なんとかギリギリ合格!いや、ギリギリアウトだった気もするけど

とにかく入学できました\(^o^)/

劇団員時代に発揮できなかった根性をここぞとばかりに見せつけてやった出来事です。

短大生活は楽しいことばかりじゃなかった

ただ、短大生になってから私に試練が待ち構えていました。

それはピアノ!!!

子どもの頃からピアノを習っていれば良かったのでしょうけれど

音楽はさっぱりな私。

受験の際に妹に教わったので楽譜を読むのはなんとかできるようになってましたが

楽器の演奏となると思うようにいかないのです。

歌いながらダンスはできるのに・・・

指を動かすだけのピアノがどうしてこんなに難しいのか!?

向き不向きもあるのでしょうけれど、私は完全にピアノ向いてませんでした。

子どもは好きだけどピアノができないという理由で

保育士を諦める人もたくさんいるみたいです。

確かにね、ピアノができると保育の内容は充実するでしょう。

でもこれだけは言える。できなくても保育士にはなれます!!!

ここだけの話、私は保育士時代一度もピアノを弾いたことがありません。

今はCDという便利なモノがありますからね~♪(笑)

なんとかなりますよ。しかもそんなに重要じゃないと私は思っています。

だって考えてみてください。ピアニストはみんな保育士になれますか?

そうじゃないですよね。そういうことじゃないですよね。

まぁだからといってピアノができなくてもいいという理由にはなりませんが。

私の短大は卒業と同時に保育士と幼稚園教諭の免許が取得できる学校でした。

どちらも国家資格ですが、単位の取得でOKなんです。

そのかわり、私はすべての試験を1回でパスしましたよ!

追試にお金かかりますからね(笑)

貧乏劇団員時代を経験して、お金にはかなりシビアになっていましたから。

臨床心理学との運命の出会い

この短大生時代に出会ったのが臨床心理学という分野。

保育士も子どもとの関わりや保護者対応でカウンセリング技術が必要になるのです。

そこでカウンセリングマインドの大切さを学びます。

相手の話を積極的に聞くということの難しさも知ります。

いかに日頃の自分が勝手なことばかり言っているかも思い知ります(笑)

中学生の頃、自分が受けたカウンセリングはこういうことだったのかと気付きます。

話を聞くことでいかに人が癒されるのか。

アドバイスされるのではなく、自分で悩んで答えを出すことがどれだけ大切か。

本当に重要な気付きを得ることができました。

その当時のノートは今でも取っておいています。

そこには

アドバイスはしない→意味がないから

と、書かれています(笑)

実際カウンセラーをしていて思いますが、

アドバイスをするよりも徹底的に話を聞く方が物事の解決につながるんですよね。

これ、本当にそうなんです。

短大では多くのことを学びましたが、私にとっては臨床心理学との出会いが一番の収穫でした。

幼稚園や保育園の実習も楽しくて仕方がなかったですね。

実習生は子どもたちも喜んで懐いてくれますし楽しいことばかり♪

この実習で挫折してしまう学生もたくさんいますが、その点私は大丈夫でしたね。

夏休みには保育園にボランティアにも行きました。

保育士は天職だ!!!そう思って疑わなかった短大生活でした!!

春奈’s STORY③ 上京編~夢を叶えて劇団に入ったけど挫折、そして社会人へ

カウンセラーの若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第3話です

高校卒業後の進路として、東京の子ども向け専門の劇団に研究生として入団します。

小学校の演劇鑑賞会や地方の文化会館などで上演することが多い劇団で

今はもう活動していないようですが劇団新児童という当時日本で一番古い児童劇団でした。

初めての一人暮らしと役者としての生活。夢を着実に実現できていることに胸が躍りました。

私も地方公演に同行し、数回舞台に立たせてもらいました!!

ダンスの先生は元劇団四季の振付師の先生で、

短期間で本当にメキメキ上達した感覚!

初めはリズム感もなくかなりのヘタレでしたが、

教えてもらったことは確実に習得しようと練習してました。

先輩からも「覚えがいい!」と褒めてもらい、やればやるほどおもしろくなっていたんです。

両親からの仕送りと、セブンイレブンのアルバイトで稼いだお金で細々と生活していました。

とにかく明日どうなるかわからない生活なのでできるだけ切り詰めて。

毎日白米ともやし炒め。お昼は塩おにぎり。みたいな生活をしていたら当然ですが体がギブアップ!!

何分栄養が足りていませんから毎日フラフラ・・・顔が濡れて力が入らないアンパンマン状態。

根性のない私はすぐに諦めて劇団を辞めてしまいました。

この当時、バイト先の友達は大学生の子が多く、とても華やかで楽しそうに見えました。

地元の友達はちゃんと就職して自分の力で生活していて。

それに比べて私はなんて情けないんだ・・・と、とても悔しくなりました。

悪戦苦闘した就職活動と初社会人生活

劇団は辞めたけどなんとなく秋田に帰りたくない。

まだ諦めたくない気持ちと、みんなに合わせる顔がないという気持ち。

相互が入り混じってとにかく秋田には帰りませんでした。

一人見知らぬ土地で就職活動を始めたんです。

スーツはもちろん、ビジネスグッツなんて一つも持っていませんでした。

面接練習もしたことない。気持ちだけで突っ走ってました。

何社も不採用になりましたが、やっとのことで雇ってくれる会社に巡り合えました。

東京で完全手作りの婚約指輪の販売をする宝石店です。

とにかくお客様に対するサービス精神が旺盛で、親切丁寧。

ここで接客の基礎、サービス業の精神を学びました。

この会社で働いた経験がなかったら、私の応対マナーなんて本当にひどかったと思います(笑)

仕事ではミスの連続で毎日のように叱られていたのですが

そんな中でも楽しさを覚え始めていた時でした。

空気のいい田舎の秋田で育った私には東京の環境が合わなかったみたいで体調不良を起こしてしまったんです。

たいしたことはないから大丈夫だと思っていたのですが思いのほか両親が心配して

ほぼ強制的に(笑)秋田に帰ることになってしまいました。

秋田に帰ると決まってからは嬉しいような寂しいような。

身体に合わないとは言えども東京は楽しいところです。

帰る前に満喫しようと思い、仕事を辞めてからも少し遊んでいました(笑)

いつでも行けるからと後回しにしていた劇団四季のミュージカルを観に行ったり。

観れば観るほど魅かれるんですよね。やっぱり芝居はいいものなんです。好きなんです!!

秋田に帰ったらのんびりアマチュアとして演劇をやってみよう!と思うわけです。

人生を大きく変えてくれたアルバイト先、セブンイレブン

また、この時本当に貴重だなと思ったのがバイト先で出会った友達です。

セブンイレブンで出会った友達は本当にいい人ばかりで、田舎者の私を遊びに連れて行ってくれたり

秋田に帰るとなった時は見送りにも来てくれました。送別会ではみんな号泣してくれて(´;ω;`)

オーナーや店長も本当にいい方でたくさんお世話になりました。もはや第二のふるさと。

秋田にはこの当時セブンイレブンが進出していなかったので、

いつか秋田にセブンができたら絶対オープニングスタッフになる!!と心に決めていました。

この時から10年後・・・まさか本当にこの夢が叶うとは思っていなかったのですが(笑)

春奈’s STORY② 人間関係に悩んだ高校生活~子どもの可能性に気付いたとき

カウンセラーの若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第2話です

幼少期から中学生編はこちら

高校生になると中学生の頃のように委員会や部活動は一切入らず、

秋田のアマチュア劇団の方々と一緒にお芝居をやるようになります。

1年生の頃は演劇講座を受講。

高校生から大人まで参加できる講座で、発声や活舌などの基礎やトレーニング方法を学び、

一つの作品を仕上げて発表をしました。

この時に準主役ともいえるような出番の多い役に抜擢されて嬉しいやら焦るやら。

学校の授業中も台本を読み齧り、必死にセリフを覚えました。

大人の方々と芝居をやってみて、自分の演技なんか本当にまだまだ未熟で通用しないんだと実感するんですよね。

でも演出家の先生に「中学校演劇でも悪い指導は受けてなかったんだと思うよ」とおっしゃっていただき、

なんとなく救われた思いでした。

ただ、中学校で演劇部に入っていたと言えども、きちんとした指導者がいるわけでもなく、

練習方法もこれであっているのかみんなわからないまま手探りで行っている状態だったので、

自信は全くなかったんです。遅れを取り戻そう!!と必死でした。

2年生からはミュージカルに参加しました。

こちらは小学生から大人まで参加できるもので、初めて歌とダンスに挑戦したんです。

演技だけでも大変なのに歌って踊る・・・しかも私、低血圧じゃなかったっけ?

と思いながらも練習していくうちに、徐々に慣れてきてなんとか披露できるまでに成長しました。

ここで小学生と一緒に芝居を作り上げていく中で、

演劇の未来をつなげていくためには子どもたちの力が必要不可だと気づきます。

子どもが演劇に興味を持たなかったらもう演劇は終わりなんだと。

そこで高校を卒業したら子どもたちに向けた芝居がやりたい!と思うようになります。

まだこの時は子どもについて学ぼうとまでは思っていませんでしたが、

単純に子どもたちの演技を見て素晴らしい!って思ったことは覚えています。

どうせ子どもには無理だろう。子どもには難しいだろう。

そういう思い込みがあることで、子どもの可能性を摘み取ってしますことがあるんだと思うんですよね。

全然無理じゃない。むしろ大人よりいい芝居をする。

だって子どもの方が感情表現が素直で上手ですからね

初めて人間関係に悩んだ高校生活

将来の進路が私の中で完璧にイメージできて、もはや突き進むのみとなったわけですが

高校生ならではの悩みももちろん抱えていました。私は実業高校でクラス替えがなく、しかもほぼ女子クラス。

女同士の見えない壁というか亀裂というか派閥というか。何か上手くいかない感じを経験します。

「女同士は面倒くさい」そんな気持ちでしたね。

今は人間関係を円滑にする方法を勉強してきたので平気ですが、やはり女の人間関係は難しいものがあるんだと思います。

女性というのは感情の生き物ですからね。気持ちや気分次第で態度が変わってしまうこともしばしば。

それが大人げないことだとわかっていても、どうしても切り離せない部分がありますね。

まさに女子から女に変わる境目の時期ならではだったのかもしれません。

でも、このときの気持ちも大人になったら一切なくなってるもんなんですよね。

さすがに高校生の頃の気持ちをアラサーになるまで引きずることもなく、一時のものだったんだなって感じます。

今人間関係が上手くいかなくて悩んでいる方も、きっと一時のものなんだと思いますよ。

春奈’s STORY① 幼少期から中学生時代~野球、そしてジャニーズ

カウンセラーの若狭春奈ができあがるまでを楽しいストーリーでご覧いただける記事第1話です

子どもの頃の私は母親が専業主婦で毎日家に母がいたということもあり、

かなり安心感の中で育ってきた半面母のことが煩わしく感じることも多くありました。

子どもながらに大人になったら絶対家を出て一人暮らしするんだ!!

と心に決めていたなんともたくましい少女でしたね。

でも実際は小さな虫でも触れないくらいのちょービビり!

ジブリ作品が大好きで風の谷のナウシカに憧れて、

すべての生き物に優しくしようと思っている自分で言うのもなんですけど本当にいい子でした(笑)

父が男の子が欲しかったということもあり、野球や虫取りを教えてもらって苦手な虫を克服。

ついでに野球のルールも覚えて女子の中では貴重な存在に。夏休みは甲子園を観るのが日課となっていました。

小学生の頃、女子アナが野球選手と結婚するパターンが多くあり、

漠然とアナウンサーになりたいと思うようになりました(笑)なんとも不純な動機です。ア

ナウンサーになるためにまずは形から入ろうと英会話を習い始めました。

でも全然話すことができないまま中学生になり、結局みんなと同じレベルでスタートする形に。

悩み続けていた中学生時代

中学生になってからは学級委員を務めたり、応援団をしたりとかなり活動的になりました。

部活動に必ず入らなければならなかったのでノリで演劇部に入部。

それから芝居の魅力にすっかりドはまりしてしまい、将来は役者になりたい!と恥知らずな宣言をしていました。

一見とても目立ちたがりに見えるのですが、なぜかこのときストレス性胃炎と

自律神経失調症と低血圧に毎日悩まされていました。

しょっちゅう通院しては検査。そのたびに異常なし。

自分でもどうしてこんなに体調が悪いのかわからず、やる気に反して言うことを聞かない身体にいら立つ日々でした。

実際のところは自律神経が乱れているから低血圧になり、それがもとで体調が優れなかったみたいですね。

このとき小児科の先生から「ストレスの原因を絶たないと治らない」

と言われて精神科のカウンセリングを受けることになります。

でもカウンセリングでも何かいまいちスッキリするかんじがなく、

「これはもう誰かに治してもらおうとするんじゃなくて自分の力でなんとかするしかないんじゃないか」

と思うようになったんです。

このときから一気に事態が好転!体調がメキメキ良くなって毎日ご飯が美味い!学校サイコー!!となります。

みんな頭を悩ませる受験も軽い気持ちで考え「甲子園に行きたいから野球の強いところで家から近いところ」

というノリで高校を決定(笑)案の定周囲から猛反発を食らうものの「私の人生だから♪」

と、特に気にすることもなく受験をします。

中学生はとても多感で難しい時期。その時期にストレスで体に不調をきたすなんて先が思いやられていたのですが、

逆にこのときに乗り越えた経験があったから、その後は楽しいことばかりに思えました。

私ってダメな人間なんだろうか。弱い人間なんだろうか。

そう思ったこともあったけれど、自分で「変わろう!」と決意してからは

何もかもが自分にとってプラスに思えるようになりました。

まさに自分サイコー!自分love♡になった時期です。

ジャニーズにハマった輝かしい少女時代

あと、余談ですが小学生から中学生の頃はジャニーズにもハマりました。

TOKIOがデビュー当時から大好きでCDもシングルで毎回買っていたし、深

夜番組だった「鉄腕!DASH!!」も毎週見ていましたね。

中学生の頃はジャニーズJr.黄金期と言われていた時期で、

今や人気の嵐や関ジャニ∞、タッキー&翼がJr.として活躍していた時期ですね。

私は二宮和也君が好きで、嵐のデビューが決まったときは本当に感激でした。

嵐のデビューシングル「A・RA・SHI」には握手会のチケットが入っていて、

原宿の代々木公園だったかな?始発の新幹線で行ったんですよ!

でも当日たくさんの人が朝から押し寄せて開場時間が早まり、

私が着いた時にはもうイベントが終わっていたんです(´;ω;`)せ

っかく秋田からはるばる行ったのに・・・!!

でもその時はもうポジティブ春奈に変わっていた時でしたから、

「これも何か意味があるんだろ。しょうがない!」って思えてました。

いや、残念だったけどね。

もその後リベンジで春高バレーの開会式を観に代々木体育館に行きました!

春高バレーのイメージキャラクターを嵐が務めていたので、開会式でライブがあったんですよ。

これが3月の出来事。

4月にはファーストコンサートがあり、横浜アリーナに行きました。

6月に販売された3rdシングルは、ビデオライブのチケットが封入されているものでした。

一番近くて仙台の会場でビデオライブがあったので行ってきましたね。

その会場でお台場ライブの抽選会があり、なんと当たってしまったんですよ!!!レアすぎる!!!

きっとデビューのときの握手会に入れなかったから神様が見ていてくれたんですね(笑)

諦めないでいたから報われたんだと思います!!!

この嵐の話が中3から高1にかけての話です。なんか嵐の話ばかりになってしまいましたね。

でもこの当時の嵐は今のように人気がなく、CDもランキング1位を取れないこともありました。

私たちファンの間では、発売日にCDを複数枚買って応援しようっていう人もたくさんいたんですよ。

今は日本で一番コンサートのチケットが取れないアーティストになってしまいましたね。

握手会やお台場のフリーライブが懐かしいですよ。

嵐だって最初から今のような嵐だったわけじゃないんです。

たくさんの苦労と努力の積み重ねによってできあがったもの。

私たちも小さな努力を積み重ねていかなきゃいけないなって思いますね。

発声がストレス発散に有効!声出してる???

育児ストレスカウンセラーの若狭春奈です。

大人になってその魅力に気付いたアニメがある。

それがムーミン

 

きっかけは私の好きな名探偵コナンの

コナン役で知られる高山みなみさんの

代表作がムーミンらしいという話を聞き、

「え!?そうだったの?」

という思いから興味が沸いて見てみたんです。

 

なんともクールで淡々と話すムーミン。

ムーミンってこういう感じだったんだ・・・

 

そんなムーミンの話の中で

姿が見えない女の子が出てくる回があるの。

その子はいじわるなおばさんと暮らしているうちに

つらさから姿が見えなくなってしまったという。

 

で、ムーミンママなら優しいから

きっと打ち解けられるハズってことで

ムーミンの家に預けられるんです。

 

ムーミンもムーミンの友達も姿の見えないお友達に

一生懸命話しかけて一緒に遊ぶんですね。

みんなの優しさに触れて徐々に姿が見えるようになってくるけど

いじわるなことを言ってくる子も森にはいるんです。

せっかくいい調子で過ごしていたのに

いじわるをされてまた見えなくなってしまうの。

 

でもある日、大きな声を出してみたことをきっかけに

自信を取り戻して姿が見えるようになるんです。

それからはいじわるをされても負けない

強さを身につけていくんです。

 

これ、とても深い話だなって思いました。

なんだか現代のいじめ問題も垣間見えるような話。

 

自信がなくて姿を消してしまうなんて

現実ではありえないかもしれないけど

「消えてしまいたい」って思うことって

きっとあると思うんですよね。

 

周りから攻撃されて自信を無くして

自信がないからまた更に攻撃されて

姿を消したくなってしまう。

 

でもそんなときに大きな声で自分の意志を表示出来たら

それがまたきっかけで自信を取り戻せるんです。

発声ってめっちゃ大事よ。

 

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発声するためには呼吸も大事で

この呼吸が整うと気持ちも落ち着きます。

腹式呼吸って言うのは副交感神経が優位になるので

それをするだけでリラックスにもなるんだよ。

 

正しく呼吸をしていつもより少し大きな声を出す。

大声で叫ぶのとは違いますよ!

落ち着いて声を響かせると

すごくスッキリします。

本当にやってみてほしい!!!

 

これ、私が演劇をやっていた時に気付いたんだけど

大きな声で自分を表現するって

緊張するっていうよりなんか落ち着くの。

 

緊張もするけどさ(笑)

 

自分の中から余計なものが出ていく感じ?

発声もある意味デトックスなのかもしれませんね。

 

小さいお子さんがいると

あまり大きな声が出せないと思うけど

(いや、もしかして大声で怒鳴ってる?)

発声は一度試してみて欲しいストレス発散法かも。

 

あと、ムーミンもおもしろいので

ぜひ見てみてくださいね。

 

 

 

 

おねだりするときにも使える「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」

育児ストレスカウンセラーの若狭春奈です。

「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」と似ていますが、今度は逆です。初めに敢えて難しい依頼をし、相手がそれを断ったところで初めて本来の依頼をする。一度断っているので相手に罪悪感が生まれ、本来の依頼は受け入れてもらいやすくなるというものです。

例えばプレゼントのおねだりをするとき、本来は5万円のアクセサリーが欲しいとしましょう。初めは敢えて20万円のブランド品をおねだりします。「それは高すぎて無理」と断られてから初めて5万円のアクセサリーをおねだりします。初めの要求よりも15万円も安くなっていますし、一度断ってしまった罪悪感もありますから、本来の願いは聞き入れてもらいやすくなります。